居合とは「出会いがしらの一撃で勝負を決する剣」
「居合とは何か」を居合をしたことがない方でもわかるように考えてみましょう。
平成六年警察博物館で開かれた『警察のはじまり、特別展』が開かれました。その際、初代大警視(警視総監)、『日本警察の父』川路利良と、その部下斉藤一について、警視庁広報課で、元警視庁剣道助教西尾俊勝さんが調べた警視庁に残る記録によれば、斎藤一は無外流であったということです。
新選組三番隊組長斎藤一は無外流の大先輩であったとすれば、いかにも、と思われる歴史上のシーンがいくつもあるでしょう。その斎藤一を居合の使い手として描いた小説があります。
その一つ、文豪浅田次郎先生のその名作「一刀斎夢録」の中では、居合を「出会いがしらの一撃で勝負を決する剣」と表現されています。
剣を抜いて「さあ来い!」と構える立ち合いと違い、刀は鞘のうちにあります。
ここから抜き打ちで斬れるのが居合というのですから、普段稽古する形のままに実際に斬れなければなりません。
一般財団法人無外流に加盟する無外流明思派各会の特色「斬れる居合」は実際に形、それも抜き打ちで斬れなければ意味がないという、ここからきています。
さて、無外流の特色として中川士竜先生が紹介したエピソードを以下まとめてみましょう。
真剣勝負の気合
「剣を学ぶなら月旦」
水戸藩分家、守山藩主松平頼定が流租辻月旦に、無外流は真剣勝負の気合で稽古をする旨を問いただしたと言います。
稽古を望む頼定の相手に、月旦は弟子の杉田庄左右衛門にさせました。
三度の打ち込みをとられ、最後は組みついたと言います。
その後、頼定は若い大名に「剣を学ぶなら月旦がよろしかろう。
しかし月旦は最初から手ごわいので、とても長くは続けられまい」と言ったそうです。
真剣勝負を想定している、という武道の基本がよく伝わるエピソードではないでしょうか。
「敵によって転化をなすは兵法の定理なり」
辻月旦の存命中の無外流は素面、素篭手による剣術が主、その中に居合を取り入れたと言います。
仇討のために居合を学ぶものには、抜きつけの初太刀のみ教えて、ひたすらにその鍛錬をするよう求めるなど、常に真剣勝負が前提でした。
このような姿勢はその後も受け継がれ、土佐に伝播した系譜の無外流土方派の中でも有名な、警視庁「三郎三傑」の一人川崎善三郎は「形なんか覚えんでもええんじゃ」と言っていたそうです。
これは極端なたとえであったでしょうし、居合形を軽視するものでもないでしょうが、
形に縛られてはならない、その場その敵に従って応じられなければならない、ということのようです。
言ってみれば、「○○な場合」「○○された場合」とことこまかにマニュアルのように規定するのではなく、その場に応じて変化できる無外流の姿勢を表したものだと思われます。
「敵によって転化をなすは兵法の定理なり」
私たちは手順に縛られるのではなく、形の本質は何なのかに迫る姿勢を持たなければならないのでしょう。
「無外流は最も実戦的な居合に見える」(極真会館創始者 故大山倍達総裁)
こういった真剣勝負を想定し、装飾を省いたシンプルな動きに、「今まで居合はたくさん見たが、無外流は最も実戦的な居合に見える」とおっしゃったのは、実戦空手として有名な極真会館創始者の故大山倍達総裁です。
この実戦を生涯追い求められた方が、そのシンプルな無外流を認められたことを私たちはうれしく思います。また、それを次世代にも伝え、その伝える中で心身ともに健全なたくさんの継承者たちを育成することを財団に加盟する各会は重要な責務だと考えています。